2017年4月3日月曜日

MLBも開幕

 ヤンキースはレイズの本拠地のセントピーターズバーグに乗り込んで開幕戦を迎えました。3年連続の開幕投手に指名された田中将大投手でしたが、ここぞというところでの変化球のキレが悪く2回2/3の7失点で途中降板してしまいました(チャレンジに対するネガティブな反応が出そうな気もしますが…)。この時間(日本時間で4/3の午前4時半)現在まだ試合途中ですが、6回を終わって7対2でレイズリードです。ヤンキースの浮沈のカギを握るエースだけに、立て直しに期待したいですね。
 ちなみにNHKの中継では投球や打球のデータが出されることがあって、また違う「ベースボール」の見方出来そうな気がします。

2017年3月15日水曜日

追い詰められた(?)侍ジャパン

 今日、3月15日イスラエル戦に勝てば1次ラウンドから6戦全勝で文句なしに決勝ラウンドに進出が決定します。ただし、今日イスラエルに負けてしまうと、(既にキューバ戦に勝っている)オランダ、イスラエル、日本が2勝1敗で3カ国が並ぶことに。こうなるとあの(笑)失点率が関係してくるわけですが、日本は延長戦にならずに5点以上とられて敗戦となると翌16日に再びイスラエルとプレーオフを戦わなくてはなりません。
 こうなった時に問題となるのが、投球制限のあるWBCルール(※1)のせいで15日と16日に投球出来るピッチャーに大きな制約が出来てしまっている点です。今日15日のイスラエル戦は先発として発表させれた千賀滉大ほかに2次ラウンド登板のない藤浪晋太郎、武田翔太、岡田俊哉とオランダ戦で49球で降板している石川歩、昨日のキューバ戦で投げていない則本昂大と宮西尚生だけしか投げられません(もしも考えれば武田は明日16日の先発としてとっておかなければならないはず)。継投策としては岡田、宮西を挟みつつ、ロングリリーフという形で今日のイスラエル戦は戦わなくてはなりません。そのために今日投球するピッチャーたちを50球未満に制限して明日に備えることも厳しい状況があるはずで、監督にとっても難しい判断になりそうです(プレーオフの場合、キューバ戦で投げたリリーフ陣5投手は50球を超えていないので登板OK)。
 この点、イスラエルは出場チーム最多となる16人のピッチャーが登録されていることもあって、登板のやり繰りは楽になりそうです。まぁ、日本が5回までに15点以上差をつけてコールド勝ちすれば、中継するテレビ局以外は問題ないんですが(笑)

※1 ピッチャーは1試合につき1次ラウンドは65球、2次ラウンドは80球、決勝ラウンドは95球を超えて投げられない(ただし、打者の打席中に制限に達した場合はその打席までで投球OK)。さらに、1試合で50球以上投げた場合は次の登板まで中4日を、1試合で30球以上または2試合連続で投げた場合は、次の登板まで中1日をあけなければならない。

2017年3月7日火曜日

サンウルブズのスタートダッシュは……

 ここまで2戦を終えて連敗スタートとなったサンウルブズ。チーム招集が遅かったために連携に問題があるかもと心配されていましたが、ディフェンス面でその心配が現実のモノとなってしまいました。相手バックスに展開されたときに、ディフェンス側が上がるスピードで対抗すると裏をつかれ、組織的に「面」で対抗すると個々のスピードとパワーで圧倒されてしまうことやオフロードパスなどで数的な優位を作られてしまう場面が多かったです。
 個々の強さがさらに必要なのはもちろんですが、チームとしてはブレイクダウンで相手の球出しに人数や時間を掛けさせることでサンウルブズの人数が多いところで相手にプレーをさせることが必要だと思います。一発で大きくゲインラインを切られなければ、面白いゲームになるはずです。攻撃に関しては相手チームの分析が上手くなされているようで、(第1戦、第2戦では時間限定ながら)見事にデザインされたプレーでスタンドを沸かすケースも見られましたから。
 毎週続くゲームに長い遠征の移動距離と大変な点は多いですが、秩父宮に帰ってくるときには更なる逞しいチームになって戻ってきて欲しいものです。

2017年1月29日日曜日

ラグビー日本選手権決勝 サントリー・サンゴリアス4年ぶりの制覇

 サントリー・サンゴリアスvsパナソニック・ワイルドナイツのカードで行われたラグビー日本選手権決勝はサントリーが15-10で勝利を飾り、今シーズンはトップリーグから一度も負けないまま日本選手権も頂点に立ちました。試合はサントリーがノートライ、パナが1トライというロースコアリングゲームでしたが、その内容はかなりハイレベルな攻防戦を互いに戦ったものだったと思います。結果的には相手ゴールラインに幾度となく迫ったパナがミスからトライに結び付けられなかったことが敗因となるかと思いますが、ブレイクダウンでの圧力が強いサントリーからトライを奪うために展開を早くしようとしたことが原因のような気がします。それだけフォワードの、特に2列目3列目のアプローチのスピードとプレッシャーが凄いんでしょう。それと最も基本的なラックでの「立ってプレー」「自立したプレー」が重要なのがよくわかったゲームでしたし、そしてラグビーはフォワード戦を制した方がやはり有利なんだなと改めて認識しました。サントリー強かったですね。  それとこれはテクニックなんでしょうが、ラックの時にノットロールアウェイにしてしまうようにラックを形成している感じがします。そのへんは「上手さ」なのかな(笑)
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2017年1月23日月曜日

ラグビー日本選手権 準決勝

 16-17シーズンのラグビー日本選手権はトップリーグのトップ3と大学選手権優勝校が参加して行われます。そして大学のチームが日本選手権に参加できるシステムは一応今年が最後になりました(このあと2シーズンはトップリーグのチームだけが参戦)。そしてカードはトップリーグ優勝のサントリー・サンゴリアスと大学選手権優勝校の帝京大学が対戦でした。トップリーグのチームから1勝をスローガンにここまで戦ってきた帝京にとってこれ以上のない相手ともいえますが、試合前の予想は圧倒的な差がつくのではないかと思っていました。しかし、そんな外野の予想を覆して、これまでの積み重ねをすべてぶつける堂々した戦いをみせてスコア的にも互角の戦いになりました。ただ、サントリーも相手へのリスペクトは口にしていましたが、ゲームの入りがトップリーグとは多少違っていたのかもしれません。後半に入り圧倒的に有利だったスクラムを押し、バックスへの展開でも前半は上手くドリフトして対応していた帝京に対してアングルを掛けてセンターやフルバックを入れることで大きくゲインを切り始めました。
 結果だけをみれば54-29でサントリーの圧勝ですが、花園に足を運んだファン、テレビの前で観ていたファンには見ごたえの、そして「もしかして」との思いも起こさせる一戦だったんじゃないでしょうか。ここまで社会人が圧倒的な強さを見せつけ始めた頃から紆余曲折はあったものの、60年から始まった社会人vs大学生と日本選手権の構図はここで一旦終止符を打たれます。しかし、帝京の大健闘に3年後以降(というかワールドカップ日本大会開催後)に再び日本選手権に大学生の枠が復活する可能性も残ったような気がします。
 一方で、日本のラグビーがこれまで以上に世界と戦っていくためには下の世代からの育成の継続は必須でしょう。そのためにも大学のチームがトップリーグにチャレンジするシステムは必要だと思います。サッカーには天皇杯があります。ラグビーにこのシステムを導入するには難しい点はあると思いますが、来シーズンからトップチャレンジリーグが作られるなかでサッカーのJ3にクラブチームのU23チームが参加しているように、トップチャレンジリーグに大学のチームが名を連ね、コンスタントに上のチームと戦うシステムが早急に必要だと思います(もっと個人的にいえば、クラブチームにも門戸を開いて欲しいですね!)。
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2017年1月22日日曜日

WRCの2017シーズン開幕 18年ぶりにトヨタがWRCへ復帰!その歴史を振り返る

 1999年を最後に世界ラリー選手権(WRC)から撤退していたトヨタがついに今シーズンからワークス活動を復帰させました。日本メーカーとして初のメイクスチャンピオンを獲得しているトヨタだけに復帰初年度とあってもその活躍を心待ちにしているラリーファンの人も多いと思いますが、これだけの大きなブランクがあるだけにシーズン序盤での過度な期待は抱かない方がいいかもしれないですね。
 さて、ここでは簡単にトヨタのラリーの歴史を振り返ってみたいと思います。ヨーロッパでの販売を強化する目的でラリーに出場するドライバーをサポートする形でラリーに関わってきたトヨタでしたが、1973年からWRCが始まることを受けて1972年のRACラリーに、当時トップドライバーであったオベ・アンダーソンをワークスドライバーとして招聘(マシンはTA22セリカ)。翌年にはトヨタ車でラリーを戦うチーム・トヨタ・アンダーソンが設立されました。しかし、この年の秋に第4次中東戦争が勃発しオイルショックが世界中に蔓延していくと、74年のWRC開幕戦だったモンテカルロ・ラリーは中止に。日本国内でも不況の波が一気に押し寄せ(ガソリンの入手も困難になっていきました)自動車メーカーは苦境に陥っていきました。こうした状態ではモータースポーツみたいなものは一番最初に切られてしまうことは現在でも40年前でも同じ…。実際、トヨタも会社としてはラリーへの関与を断つ決断を下しています。ただし、関係者の熱心な説得で最終段階で覆され、彼の地で萌芽したトヨタとラリーの関係は続くことになりました。もちろん、細々とですが。その後はTE27レビン、RA20、40、63セリカとスポット参戦をしていく中で1975年には1000湖ラリーでトヨタ初のWRC優勝も果たしています。
 こうした状況が一変するには1980年台に入って、トヨタがそれまでの方針から一転モータースポーツへの関わりを濃くしたことです。マシンのレギュレーションが大きく変わる1983年を機にワークス活動を本格化。グループBと呼ばれたトップカテゴリーにまずはコンベンショナルなFRマシン・TA64セリカツインカムターボを投入しました。ただし、WRCのトレンドは4WDマシンへと変わろうとしている状況で、このマシンの主戦場はアフリカの耐久ラリーへと移っていきました。トヨタとしてもこうした状況に手をこまねいてわけではなく、二の矢としてMR2をベースとしたミドシップターボ4WDを用意していました。
 しかし、WRCは激しいパワー競争のなかで観客を巻き込む事故やクルーの死亡事故が相次いだために1987年から(より激しい改造を伴うグループSをキャンセル)グループBよりより市販車に近いグループAでの戦いへとシフトしたことで、トヨタのWRC戦略も大幅に変更を余儀なくされます。またこのとき既にWRCでの必勝フォーマットはターボ+4WDとなっていましたが、当時トヨタのラインアップには販売が開始されたばかりのセリカGT-FOURしかスポーツ4WDマシンはなく、このためにST165セリカGT-FOURがWRCに登場するのは1988年まで待たなければなりませんでした。
 しかもトヨタとしては初の4WDマシンということもあったのでしょう。デビューイヤーの1988年は度重なるトラブルで勝ち星に恵まれず、1989年もシリーズ後半での1勝にとどまりました。それでも1990年に入るとスピードと信頼性を勝ち取ったST165セリカは快進撃を始めてこの年はシリーズ5勝を獲得すると、カルロス・サインツがドライバーズチャンピオンに輝きました。そして市販車のセリカGT-FOURがモデルチェンジが行われましたが、トヨタとしてはよりラリー向きとなるカルロス・サインツ・エディションの販売まで実戦投入を待ち、ついに1992年からST185セリカがWRCでデビューを果たしました。この年にはサインツが再びドライバーズチャンピオンを獲得、翌1993年には念願だったマニュファクチャラーズチャンピオンという栄冠も手にしました(1994年も連覇達成)。
 スバル、三菱の台頭で厳しさを増したWRCで1995年からトヨタはST205セリカGT-FOURにスイッチします。しかし、舗装路ではその性能が活かされたスーパーストラットサスペンションを採用していましたが、ホイールトラベルの大きくなりがちなグラベル(さらに言えばサスペンションストロークも大きくとれなかった)では不具合が大きく、1995年は苦戦のシーズンとなってしまいました。しかも最終戦を前にしたラリーカタルニア・コスタブラバでリストリクターの違法改造が発覚したことから、FIAは1995年シーズンの全戦ポイント剥奪に1996年シーズンの参戦禁止のペナルティを課しました。実はこれには伏線があって、ラリーカタルニア・コスタブラバの前戦がパースで開催されていたラリーオーストラリアでしたが、このラリーではいち早く市内のラングレーパークで多くの観客を集めたスーパーSSが実施されていました。このスタートからのストレートで明らかにセリカが速かったというのです。そしてラリーカタルニア・コスタブラバのラリー後の車検ではエンジン関係を中心に徹底的にチェックをしたようです。一般的なラリー後の車検ではランダムにチェック項目が決められて調べられますが、このときは明らかにパワーのあるセリカを狙い撃ちにしたのでした。
 トヨタは禁止された翌シーズンの参戦だけでなく実質的に1997年シーズンもWRCを休止決定。このままトヨタがWRCを去ってしまうことも考えられましたが、1997年からレギュレーションが変更されワールドラリーカー(WRCar)でトップカテゴリーが戦われるWRCにトヨタはカローラWRCarでテスト参戦し、1998年から本格復帰することになりました。当時ワークスチームは全戦参戦が義務付けられていましたが、特例でトヨタは1997年シーズンを後半の5戦にエントリー出来ましたし、カローラに2リッターエンジンを積むことはワールドラリーカーのレギュレーションでは本来であれば無理だったはずですが、ここでもトヨタは特例を勝ち取っています。それだけ、トヨタの存在はWRCにとって大きいものだったのでしょう。
 1998年は最終戦の悲劇的な結末で惜しくもドライバーズチャンピオンは獲得できませんでしたが、1999年にはマニュファクチャラーズチャンピオンを手にしています。しかし、この年にF1への挑戦を表明したトヨタはWRCから撤退してしまいました。そして今年、トヨタは再びWRCにヤリスWRCarで戻ってきました。開幕戦のモンテカルロ・ラリーはあまりに特殊すぎるのでクルマの評価は難しいですが、課題がはっきりとしたうえでマシンの改善点のロードマップが見えるのが一番いいと思います。何が起きても不思議のないモンテカルロ・ラリーなので、リザルトは待ちに待ったファンの方々の想いにこたえるポディウムフィニッシュなら最高かも(笑)。

2017年1月15日日曜日

サントリー・サンゴリアス4季ぶりのトップリーグ制覇

 勝てば文句なしの全勝優勝となるサントリー・サンゴリアスと日本選手権への出場切符も逃してしまっている神戸製鋼コベルコスティーラーズ。おのずと最終戦のモチベーションには大きな差が出来てしまいそうな試合でした。しかし、試合開始当初から両チームともエンジン全開の激しい激闘が。神戸製鋼としてもホーム最終戦への意気込みは大きかったのでしょう。神戸製鋼のブレイクダウンへのプレッシャーは強烈でサントリーもなかなかいい球出しが出来ません。ロースコアリングゲームの展開は「ミスが出たほうが負け」そんな感じの前半でした。
 後半に入って、フォワード戦で有利に立っていたサントリーがジリジリと神戸製鋼を押し込んでいきます。ブレイクダウンでボールは確保できるものの、どうしても人数を掛けなくてはならなくっていったように見えました。終わってみれば、危なげない展開でサントリーが27-15で神戸製鋼を振り切り全勝優勝をを決めてみせました。
 昨シーズンは9位に終わったサントリーがワンシーズンでここまで復調できた理由は第一義的にはフォワードの安定した強さだと思いますが、ディシプリンがしっかりしていたこととゲームごとに選手が展開にアジャストできたことが結果的には大きかったような気がします。
 さて、日本国内のラグビーシーズンもそろそろ大詰め。日本選手権も含めたサントリーの「パーフェクトシーズン」がなるか注目です。

2017年1月9日月曜日

帝京大学8連覇

 1月9日に行われた全国大学ラグビーフットボール大学選手権で帝京大学は東海大学を33対26で下して大会連覇の数字を7から8へと伸ばしました。ゲーム開始早々から激しいプレーの応酬でしたが、素早い上がりと激しいタックルで帝京大のオープン攻撃を封じて、得意とするフォワード戦で圧倒するというゲームプランが30分すぎくらいまでは機能していました。特にフォーワードでのプレッシャーは帝京大に後半フィットネスでのディスアドバンテージとなりそうな予感をゲームを観ていた多くの方が感じたと思います。
 しかし、細かいミスや帝京大のスタンドオフ(フライハーフ)松田選手の視野の広さが前半の後半に発揮されて反撃の呼び水となり、14対14の同点で折り返すことになりました。過去、2回決勝戦でこのカードがありましたが今回も含めて3回全て同点での折り返しという実力が拮抗している両校と言えそうです。
 後半、いきなりインターセプトでゲームが動きましたが、心配された帝京大のフィットネスが破綻することはなく、激しい肉弾戦がグラウンド全てで繰り広げられた最後まで優勝の行方がわからない素晴らしい試合だったと思います。結果的には微妙な判定が勝敗を分けてしまうことなりましたが、大学のトップがこうした高いレベルで戦っていたことや今シーズンの大学選手権では関西勢の復調も感じられましたし、日本のラグビー界もこの先もかなり期待できるんじゃないでしょうか。
 帝京大であっても日本選手権ではかなり厳しい戦いになるとは思いますが、いい試合を期待したいです。

2017年1月7日土曜日

全国高等学校ラグビーフットボール大会決勝

 東福岡は前半、自陣からでもバックスに積極的に回して攻撃してましたが、ゲインを大きく切れませんでした。東海大仰星もブレイクダウンでミスが多くてターンオーバーが多く前半はロースコアリングゲームの展開に。後半、東福岡はオープン攻撃にリターンパスやアングルを変えるランを織り交ぜることで東海大仰星のディフェンスが上手くドリフトしていたところの逆を付くようにトライを奪いました。一方、東海大仰星も前半からの修正が利いたのか、ブレイクダウンでのミスがなくなってきたことで攻撃のリズムが生まれてきて、フェイズを重ねていくとミスマッチも生まれてトライを重ねていき、一時は14-14の同点までいきました。
 そこから流れを押し返しすことができた東福岡にはここまでの接戦の経験が活きたのかも。このあと2トライを奪い返した東福岡が東海大仰星の反撃を1トライに抑えて東福岡が高校三冠をついに達成しました。東海大仰星としては自分たちの形であるモールに拘りたかったのかもしれないですが、結果的にはラックサイドで勝負するなりオープンに回した方が勝機があったかもしれません。それとベンチは積極的に選手交代のカードを切るべきだったと思います。接戦だったし後半3トライ奪っていて難しい判断だったかもしれませんが。
 勝負は2つのアンストラクチャーからトライが勝負を分けたと思うので、東福岡の個々の持っている能力とラグビーの理解度の高さが少し上回っていたのかなと思いました。日本開催のラグビーワールドカップ、東京オリンピックといったビッグイベント以降を支えることになる両校の選手(だけではないですが)の健闘に大いなる拍手を贈りたいです。

 試合とは直接関係ないですが、東京ではほぼ同時刻に地上波で高校サッカーの準決勝と高校ラグビーの決勝が放送されてました。日テレが高校サッカー、TBS(系)で高校ラグビーを放送してましたが、高校ラグビーはKOBELCOスポーツスペシャルと銘打って放送してましたが、試合途中にCMを入れるのはKOBELCOにとっていいイメージにはつながらないと思いますけどね。
 

2017年1月6日金曜日

全国高等学校ラグビーフットボール大会 準決勝

 東福岡高校vs御所実業高校、東海大付属仰星高校vs桐蔭学園高校のカードとなった準決勝。春の全国選抜、夏の7人制と合わせて高校三冠を狙う東福岡が順当に勝ち進むかと思われましたが、準々決勝に続いて苦戦を強いられました。個々のフィジカル、スキルとも圧倒していると思われまし、東福岡の選手も前半は個での打開に拘っているように見えました。そのためにブレイクダウンで何回かターンオーバーを喫してしまったために前半は御所にリードを許す展開に。しかし、後半に入るときっちりゲームプランを修正してきました。フェースが重なると御所のディフェンスがラック周辺に固まりがちだったので、後半はかなり強い風上にもかかわらず、バックスの走力でゲインを突破してました。
 東福岡は2戦続けてきわどい試合をモノにした点は大きいような気がします。決勝戦の相手は東海大仰星ですが、このまま東福岡が栄冠を手にしそうな気がします。

2017年1月1日日曜日

東京大賞典

 2016年を締めくくるレースと言えばもちろん東京大賞典でしょう(笑)。アポロケンタッキーはGI挑戦2戦目に念願の初タイトル獲得おめでとうございました。競った2着にアウォーディーが入っていることを考えれば、ダート界が一気に世代交代とはいかないでしょうが、勢力図は変わっていきそうですね。
 競馬の世界において、芝のレースでは2400mをクラシックディスタンスという言葉が使われることがありますが、ダートでは格式も賞金も高いブリーダーズカップ・クラシックとドバイワールドカップが2000m(正確にはBCクラシックは1と1/4マイルで約2012m。またアメリカ三冠レースのうち、ケンタッキーダービーが1と1/4マイル、プリークネスステークスが1と3/16マイルで約1900m)で争われているので、この距離をチャンピオン(シップ)ディスタンスという風に言われることがあります。
 そして、この東京大賞典はその2000mで覇を争います。中央競馬で開催されているダートGIのレースは1600mのフェブラリーステークスと1800mのチャンピオンズカップのみ。そのうえ距離2000mのダートレースを開催できる競馬場は阪神だけしかないという状態で、しかもスタート位置は芝なので純粋なダートレースと言い難いのです(このためチャンピオンズカップの前身となる阪神で行われていたジャパンカップダートも1800mだったのでしょう)。その点、大井の2000mはスタート直後に長い直線があり枠順の内外による有利不利はないですし、チャンピオンを決めるにはもってこいの舞台のはず。中央競馬で2000mのレースができない以上、有馬記念とともに1年を締めくくるレースとして競馬界そろって盛り上げる方策が欲しいですね。