2017年1月22日日曜日

WRCの2017シーズン開幕 18年ぶりにトヨタがWRCへ復帰!その歴史を振り返る

 1999年を最後に世界ラリー選手権(WRC)から撤退していたトヨタがついに今シーズンからワークス活動を復帰させました。日本メーカーとして初のメイクスチャンピオンを獲得しているトヨタだけに復帰初年度とあってもその活躍を心待ちにしているラリーファンの人も多いと思いますが、これだけの大きなブランクがあるだけにシーズン序盤での過度な期待は抱かない方がいいかもしれないですね。
 さて、ここでは簡単にトヨタのラリーの歴史を振り返ってみたいと思います。ヨーロッパでの販売を強化する目的でラリーに出場するドライバーをサポートする形でラリーに関わってきたトヨタでしたが、1973年からWRCが始まることを受けて1972年のRACラリーに、当時トップドライバーであったオベ・アンダーソンをワークスドライバーとして招聘(マシンはTA22セリカ)。翌年にはトヨタ車でラリーを戦うチーム・トヨタ・アンダーソンが設立されました。しかし、この年の秋に第4次中東戦争が勃発しオイルショックが世界中に蔓延していくと、74年のWRC開幕戦だったモンテカルロ・ラリーは中止に。日本国内でも不況の波が一気に押し寄せ(ガソリンの入手も困難になっていきました)自動車メーカーは苦境に陥っていきました。こうした状態ではモータースポーツみたいなものは一番最初に切られてしまうことは現在でも40年前でも同じ…。実際、トヨタも会社としてはラリーへの関与を断つ決断を下しています。ただし、関係者の熱心な説得で最終段階で覆され、彼の地で萌芽したトヨタとラリーの関係は続くことになりました。もちろん、細々とですが。その後はTE27レビン、RA20、40、63セリカとスポット参戦をしていく中で1975年には1000湖ラリーでトヨタ初のWRC優勝も果たしています。
 こうした状況が一変するには1980年台に入って、トヨタがそれまでの方針から一転モータースポーツへの関わりを濃くしたことです。マシンのレギュレーションが大きく変わる1983年を機にワークス活動を本格化。グループBと呼ばれたトップカテゴリーにまずはコンベンショナルなFRマシン・TA64セリカツインカムターボを投入しました。ただし、WRCのトレンドは4WDマシンへと変わろうとしている状況で、このマシンの主戦場はアフリカの耐久ラリーへと移っていきました。トヨタとしてもこうした状況に手をこまねいてわけではなく、二の矢としてMR2をベースとしたミドシップターボ4WDを用意していました。
 しかし、WRCは激しいパワー競争のなかで観客を巻き込む事故やクルーの死亡事故が相次いだために1987年から(より激しい改造を伴うグループSをキャンセル)グループBよりより市販車に近いグループAでの戦いへとシフトしたことで、トヨタのWRC戦略も大幅に変更を余儀なくされます。またこのとき既にWRCでの必勝フォーマットはターボ+4WDとなっていましたが、当時トヨタのラインアップには販売が開始されたばかりのセリカGT-FOURしかスポーツ4WDマシンはなく、このためにST165セリカGT-FOURがWRCに登場するのは1988年まで待たなければなりませんでした。
 しかもトヨタとしては初の4WDマシンということもあったのでしょう。デビューイヤーの1988年は度重なるトラブルで勝ち星に恵まれず、1989年もシリーズ後半での1勝にとどまりました。それでも1990年に入るとスピードと信頼性を勝ち取ったST165セリカは快進撃を始めてこの年はシリーズ5勝を獲得すると、カルロス・サインツがドライバーズチャンピオンに輝きました。そして市販車のセリカGT-FOURがモデルチェンジが行われましたが、トヨタとしてはよりラリー向きとなるカルロス・サインツ・エディションの販売まで実戦投入を待ち、ついに1992年からST185セリカがWRCでデビューを果たしました。この年にはサインツが再びドライバーズチャンピオンを獲得、翌1993年には念願だったマニュファクチャラーズチャンピオンという栄冠も手にしました(1994年も連覇達成)。
 スバル、三菱の台頭で厳しさを増したWRCで1995年からトヨタはST205セリカGT-FOURにスイッチします。しかし、舗装路ではその性能が活かされたスーパーストラットサスペンションを採用していましたが、ホイールトラベルの大きくなりがちなグラベル(さらに言えばサスペンションストロークも大きくとれなかった)では不具合が大きく、1995年は苦戦のシーズンとなってしまいました。しかも最終戦を前にしたラリーカタルニア・コスタブラバでリストリクターの違法改造が発覚したことから、FIAは1995年シーズンの全戦ポイント剥奪に1996年シーズンの参戦禁止のペナルティを課しました。実はこれには伏線があって、ラリーカタルニア・コスタブラバの前戦がパースで開催されていたラリーオーストラリアでしたが、このラリーではいち早く市内のラングレーパークで多くの観客を集めたスーパーSSが実施されていました。このスタートからのストレートで明らかにセリカが速かったというのです。そしてラリーカタルニア・コスタブラバのラリー後の車検ではエンジン関係を中心に徹底的にチェックをしたようです。一般的なラリー後の車検ではランダムにチェック項目が決められて調べられますが、このときは明らかにパワーのあるセリカを狙い撃ちにしたのでした。
 トヨタは禁止された翌シーズンの参戦だけでなく実質的に1997年シーズンもWRCを休止決定。このままトヨタがWRCを去ってしまうことも考えられましたが、1997年からレギュレーションが変更されワールドラリーカー(WRCar)でトップカテゴリーが戦われるWRCにトヨタはカローラWRCarでテスト参戦し、1998年から本格復帰することになりました。当時ワークスチームは全戦参戦が義務付けられていましたが、特例でトヨタは1997年シーズンを後半の5戦にエントリー出来ましたし、カローラに2リッターエンジンを積むことはワールドラリーカーのレギュレーションでは本来であれば無理だったはずですが、ここでもトヨタは特例を勝ち取っています。それだけ、トヨタの存在はWRCにとって大きいものだったのでしょう。
 1998年は最終戦の悲劇的な結末で惜しくもドライバーズチャンピオンは獲得できませんでしたが、1999年にはマニュファクチャラーズチャンピオンを手にしています。しかし、この年にF1への挑戦を表明したトヨタはWRCから撤退してしまいました。そして今年、トヨタは再びWRCにヤリスWRCarで戻ってきました。開幕戦のモンテカルロ・ラリーはあまりに特殊すぎるのでクルマの評価は難しいですが、課題がはっきりとしたうえでマシンの改善点のロードマップが見えるのが一番いいと思います。何が起きても不思議のないモンテカルロ・ラリーなので、リザルトは待ちに待ったファンの方々の想いにこたえるポディウムフィニッシュなら最高かも(笑)。

0 件のコメント:

コメントを投稿